資料を揃えて改めて詳しい会見をするとしていた小佐古氏が官邸の圧力で、急遽2日の会見をキャンセルした。

小佐古参与会見中止 政府圧力で: 街の弁護士日記 SINCE1992at名古屋



2011年5月 3日 (火)
小佐古参与会見中止 今日の中日新聞から
資料を揃えて改めて詳しい会見をするとしていた小佐古氏が官邸の圧力で、急遽2日の会見をキャンセルした。

中日新聞の会見中止の記事を見て、一遍に目が覚めた。
正直者の僕は、政府がそこまでやるかと、不覚にも驚いた。
全国紙では、少なくとも目立つスペースには取り上げる可能性は低いと思うので、以下に記事を張り付けておく。

空本議員によれば、官邸事務方から「『老婆心ながら、守秘義務がありますから』と言われ、来られなくなった」とのこと。
一方、こだまになぞらえられた枝野官房長官は、このときとばかりこだまをやめて「(政府の対応は)正義に反していることはないと確信している。何か誤解があるのではないか。」とし、小佐古氏は必ずしも被曝線量の厳格化論者ではないとも強調した。
他方、細野首相補佐官は、「一定の守秘義務はあるが、学問的見地からお考えになることは自由が認められている」として、圧力を否定。

産経新聞によれば、斑目原子力安全委員会委員長は「正直に言って小佐古氏が何に憤慨しているのかわからない」

小佐古氏の口を封じた上、言いたい放題である。
卑怯というほかない。

小佐古氏は、もともと原発訴訟では、国側の証人に立ち、原告らの症状は被曝によるものではないとの趣旨の証言を繰り返し、政府の原爆症認定基準の正当性を主張してきた。

そして、国は、悉く敗訴してきた。

小佐古氏は、もとより被曝線量厳格化論者ではない。
だからこそ、その小佐古氏までが抗議の辞任に及ぶ政府の被曝管理は極めて危うい。

小佐古氏にも求めたい。
あの涙と、「自分の子どもだったら」という言葉が真実ならば、資料を揃えた会見をなすべきである。
それを小佐古氏の責任であると主張したテレビメディアもあった(どちらかという小佐古氏に対する批判的スタンスからだったが)。
被曝線量のデータそのものに「秘密」などあり得ない。

国民の健康と生命に直結するデータについて、何よりも強く知る権利が保障されなければならない。政府が秘匿することは断じて許されることではない。

堂々と、会見すべきである。
政治から独立した学問の自由を守るのかどうか国民の知る権利に答えるかどうかが、今や自身の選択にかかっている重大事であることを自覚してもらいたい。

菅政権は、その出自から秘密によって成り立ってきた。
小沢一郎氏の強制起訴を決定した東京第5検察審査会の審査経過は、審査員の人選・審査の経過に対する疑問が数多く指摘されながら、未だに全てが謎のままである。
こうした疑問は、菅政権の正統性そのものに対する疑惑にまで行き着く。

尖閣諸島中国漁船衝突事件のときは、ごく限られた議員に、ほんの数分のビデオを上映することで、幕引きを図ろうとした。
ビデオが流出するや、仙谷官房長官は、秘密保全法の必要性に言及した。

原発事故については、民間も含めて広く叡智を集めるべきところ、大半のデータを秘匿したままである。

学会に対しては、独自の予測シミュレーションの発表すら自粛するように求めている節がある。学問の自由の侵害である。

データを秘匿したまま、唐突に警戒区域発動などの強権だけを発動して、移転・居住の自由、住民の財産権を侵害した。

流言飛語の削除要請は、ネット上の言論に警察が介入する絶好の口実を与えている。

そして、今、政権の下で、秘密保全法の検討が開始されている。

今回の小佐古氏に対する口封じは、菅政権の隠蔽体質が国民の生命に関わる場面においてすら変わらないことを示してあまりある。

知る権利や学問の自由、表現の自由は、戦後最大の危機に立たされていると言ってもよいだろう。

秘密を弄び、強権の発動に熱心な権力は、通常、独裁政権と呼ばれる。

このような政権が国難の時期を弄ぶことは一国の不幸であり、今後に大きな禍根を残す。

菅政権の即時退陣を求める。